60人が本棚に入れています
本棚に追加
最近業界をにぎわせているインディーズ・バンドが奏でるハードなパンク・チューンが流れ出す。
それはヘッドフォンから少女の耳へとめどなく注がれ、洪水のようなボリュームは耳とヘッドフォンの隙間から溢れている。
収まりのいいようにイヤーパッドの位置を調節すると、久実はバイト先の裏口を離れて歩き出した。
好きな音楽に浸り、周りの全てから遮断される。
ここにあるのは、音とリズムと、同化して混ざり合った自分だけ。
嫌なことも日々のストレスも、このときばかりは自分とは無縁の存在となる。
仕事をあがるのが午後八時。身支度をして十五分。駅までの道のりも十五分。
帰り道に乗る電車の発車時刻は午後八時二十八分。
走らなくては間に合わず、次の発車を待つところなのだが――。
久実は繁華街の細路地へ続く角を曲がった。
この近道を行けば、さほど急がなくても二十八分の電車に充分間に合うのだ。
街灯もなく、ネオンの明かりも届かない薄暗い路地。
しかしそこを進む久実の足取りは慣れたものだった。
何の前触れもなく。
右耳に届く音が消えた。
それに気付く間すら与えられず、少女は全ての音から遮断された。
ヘッドフォンは耳に固定されたまま、しかしコードはちょうど首の位置で途切れ、少女の側頭部はアスファルトに倒れ込む。
彼女の瞳に映りこむ、立ちすくむ自らの身体。
全身を朱に染め、首から上を失ったそれはゆっくりと傾き、血の海へと沈む。
虚ろにその様子を眺める瞳には、一片の光も残されていなかった。
そう、瞳に映るのは、闇そのもの。
闇は、突然の悲劇に襲われた少女の首を持ち上げた。
そして謳(うた)う。
闇よ
深淵なる静謐よ
この願いを聞き届けたまえ
闇を求め、力を求めし者よ
必要な首級はあとひとつ
我に力を――
最初のコメントを投稿しよう!