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ゆきこは中々眠れずにいた。理由は明白、総司が帰って来ないのだ。何時もならとっくに帰ってくる時間を大分過ぎていた。
布団から勢い良く飛び出たゆきこは我慢出来ずに羽織を羽織り、部屋を出たのだった。
静かに縁側を歩いていると、井戸の方から水音が聞こえてきた。核心はなかったが、ゆきこは吸い寄せられるように歩みを進めた。
井戸まで来ると、暗い闇の中に人影が見えた。そのままその人影に近寄りゆきこは目を凝らしてその人を見た。
「沖田さん…?」
声を掛けると、弾かれたように動きが止まりその人影を完全に確認することができた。髪、腕、着物、殆ど水に濡れている総司にゆきこは首を傾げた。
「ゆきこ、さん…?」
「どうしたんですか?寒いですよ。こんな夜に…」
総司に近づこうと思い、ゆきこは一歩足を前に踏み出そうと意を決したとき―――。
「近寄らないで下さいッ!!」
聞いたことのない総司の厳しい声に身体を震わせ思わず足を止めた。ハッと我に返った総司は居心地の悪そうに顔を逸らした。
「あ…すいません…」
恐る恐る足を進めて、ゆきこは最後の一歩を慎重に縮めると総司に手拭いと、着ていた羽織りを肩に掛けた。
「大丈夫ですか?」
「ゆきこさん離れて下さい。濡れてしまいます」
「でも沖田さんが…」
「大丈夫ですから」
そう言った総司の横顔が余りにも寂しそうで、悲しげで、ゆきこは何も考えずに口を開いた。
「何か、あったんですか?私で良ければ…聞かせてください」
ゆきこがそう告げると、総司の顔から一切の表情が消えた。まるで仮面を取った様に。
「沖田、さん…?」
「いい加減にして下さい…」
「え?」
「あなたに…何も知らないあなたに、そんなことを言われる筋合いありません。あなたに話したところで、何かが変わるわけでもありません。私はあなたが求めているような人間ではありませんから」
総司は手拭いと羽織りをゆきこに返すと、ゆきこに背を向けて歩いていった。
ゆきこはそのまま、総司を追い掛けることも出来ずに、ただ座り込んでしまった。
そして、ポツポツと冷たい雨が降り始めた。
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