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あの日から、ゆきこはぼーっとしていることが多くなった。
「…きこ…ゆ、…こ」
着物を直している手が随分長い間止まっているのを見て、稔麿は声を掛けた。
ゆ「…っえ?あ、ごめん…」
何度目かの呼びかけでやっと返事をしたゆきこに、隣に腰を下ろした稔麿は苦笑いを零した。
稔「大丈夫かい?」
ゆ「う、うん…後ちょっとで終わるから」
最後に、ほつれていた所を直して、完成だ。綺麗にたたんで、文机の上に置いた。
稔「ゆきこ。ちょっとおいで?」
このままじゃいけない。返事を待たずにゆきこの手を取って部屋を出た。
そのまま、宿屋を出て町を歩く。
ゆ「ちょ、ちょっと!どこ行くの!?」
稔麿、と名を呼ぼうとしたとき、稔麿が後ろを振り返って立ち止まった。
稔「いいから、黙ってついてきて」
いつになく、真剣な表情を見せる稔麿にゆきこは黙って着いて行く事にした。
稔麿に連れてこられたのは…
ゆ「此処は、あの日の…」
人を初めて殺したあの場所。そこに連れて来たのだ。
そこで稔麿はゆきこの手を離し、細長い包みをゆきこに手渡した。
それを開くとあの日、人を斬った桜舞が現れた。驚きで、桜舞を落としてしまう。その衝撃で桜舞の刃が見えた。その刀身は血で濡れていた。
ゆ「ぁ…」
落ちた刀を拾って、ゆきこの手にしっかりと握らせた。動揺して揺れている目を見て、ゆっくりと言い聞かせるように話し始める。
稔「ゆきこ、何時まで逃げるつもり?何時まで、目を逸らし続けるんだい?」
ゆ「…に、げる…?」
稔「そうだよ、いい加減に受け入れて。前に進み出さないと。何時まで、殻の中に閉じこもっているつもり?もう、過ぎた事だ。何時までも引きずって、逃げ続けるのは、もう終わりにして?」
逃げる。その言葉はゆきこの心にゆっくりと染み込んだ。あの人の死から、自分が犯した罪から、私は逃げている。
私は、弱い。こんな弱い姿を見ていた稔麿はどう思ったんだろう…。
ゆ「…と、稔麿…」
急に不安になった。もし、稔麿に嫌われたら自分はどこに行けばいいんだろう…?
ゆ「嫌いに、なった…?こんなに弱い私を…」
稔「…嫌いになんかならないよ。弱いことが悪いことじゃない。逃げることが駄目というわけじゃない。でも、逃げ続けるのは良いことじゃない」
分かる?と、子供に言い聞かせるように顔を覗き込んで髪を撫でると、ゆきこはゆっくりと頷いた
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