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「そ、んな…なんで?お父さん」
「死んじまった人間に何を望むんだよ。死んでもずっと愛してるってか?笑わせんな」
「…おと、さん…」
父の言葉が、心に刺さった。それでは、母のことを変わらずに愛していると、いつか必ずあの優しい父に戻ると信じていた日々は無駄だというのだろうか。
「ねぇーいつまで見てんの?ま、私は見られていても構わないけど?」
「っ…」
ゆきこは二人に背を向けて家を飛び出した。
行く宛てなどなかった。ただ、少しでもあの家から離れたかった。肺が刺されるように痛んでも、足に力が入らなくなっても、兎に角走った。
ドンッ
「あ、ごめんなさっ…」
前も見ずに走っていたせいか、誰かとぶつかってしまった。顔を上げ、息を整えながら謝り、一瞬で身体が固まった。
「どーしたの君。こんな所に一人で」
ニヤニヤと嗤う男に、ゆきこはそっと辺りを見回した。辺りを見回しても人通りがない。嫌な感覚に、ゆきこは無意識に一歩後ろに下がった。
「あ、あの…すみませんでした…失礼します」
「ちょっと待ちなって」
早く此処から、目の前に立つ男から逃げなければならない。心も奥底から、警鐘の音が響いてくる。
ゆきこが、もう一歩後ろに下がった時、男はその細い手首を強く掴んだ。ビクッと身体を震わせ、ゆきこは男を見上げた。
「は、離してください…」
「折角だしさ、二人で話さない?泣いている女の子をほっとくわけにもいかないし」
「け、結構ですっ…離してくださいっ!!」
「ほら、行こう」
言葉を聞かず、力の入らないゆきこの身体を引きずるように男は歩き出した。恐怖で、身体が動かない。このままだと、確実に最悪なことが起こってしまう。
だが、いくら離れようとしても、男の力に敵うはずもなかった。叫びたくても、喉が引き攣るように声が出てこない。
「ッ…お、と…さ…」
ドンッと、肩を押されゆきこは黒のワゴン車に押し込まれた。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。自分がいったい何をしたというのだろうか。
ビリビリと、Tシャツが破られる。暴れだしたくても、手首は男のネクタイで縛られ、口は布で塞がれている。
男が触れるところが腐っていくような感覚にゆきこは強く目を瞑った。誰でもいい。助けて。光がない闇から救ってほしい。
ゆきこの声無き叫びは誰にも届くことはなかった。
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