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コインを投げれば裏か表が出るだろう?
だが、どちらが出るかは誰にも分かりゃしない。
何が言いたいかというと、「この世界に法則なんて無い」と言うことだ。
学校で習っている公式やら定理なんてものは、人間が勝手に作り出して勝手に納得してるだけのものだしな。
「危ね、もうこんな時間か」
そんな法則なんて俺らの生きる自然界に通用するものか?と、中学の頃から俺は考えていた。
…別に数学が苦手とか、そういうことじゃないぞ?
「いただきまーす。って!牛乳に氷を入れるなよ!」
元々、古代に生きる人々は数字なんて知らなかった。だから法則の欠片すら持っていなかった。そうだろ?
持っていたのは本能だけで、動物を食べれば腹が膨らむ、木の枝を速く擦り付ければ火がつく。
その程度のもの、しかしこれさえあれば人生を送るのに苦はない、といった知識だけを持っていたわけだ。たぶん。
「ごちっ」
だがまあ、現代で輝く、エアコンや冷蔵庫といった…人間の法則で出来た便利な機械は確かにこの俺にとって便利で、離したくないものだと認める。
だがそんなモノも古代的な視点で見てしまえば、スイッチを押せば物が暖まる、この中に水を入れておけば氷ができる……というように『こうすればこうなる』程度の意識しかないのだ。
『法則』でなく『当然』として考えているからな。
みんなだってそうだろ?わざわざ仕組みを考えながら物を使うほど達者な人間は、周りを見渡してもさほど居ないだろ?
「やべっ、シャーペン入ってなかった!」
もちろん、自分が物を作る立場になったら『法則』について何か考え直すかもしれんが、そんな機会は一生来ないと思うから、法則を否定しながら生きる、俺なりの人生は続いていくのかもしれない。
「これで全部持ったな」
でも『運命』は信じる。
一見、『法則』より信頼度が低いように見えるが、『運命』ってのは完全に自然の産物だ。
今日を自然の中で生きる俺らにとっては一番信じられるものなんじゃないか?
運命に身を委ねる、良いことじゃないかぁ。神様のお考えなんだから、こうするのが一番だ!とふん切りが付くしな。
とは言え…言い換えれば、自分で道を開くのが面倒!とかいった、なんとも怠惰な理由になり果ててしまうが。
「いってきまーす」
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