遥か過去の景色

2/7
前へ
/143ページ
次へ
「――湊」 「ここに、」 壮年の、穏やかな風貌だがしかしそれでいて何ともいえぬ、抗いがたい強い威圧感のようなものを感じさせる男が一人、広い畳の間から手入れの行き届いた誰も居ない庭へと声をかけた。 男の声に間髪をいれずに答える者が一人。 誰も居なかった筈の庭には一人の黒衣の髪の長い人間が頭を垂れて壮年の男に礼を取っていた。 「報告を」 男は音も立てず現れた黒衣の者に驚いたりはせず要件を述べた。 「先日の芹沢他、取り巻き数名による大阪での力士との乱闘の件ですが、力士には数名の死傷者が出たとのことです。 今回は小野川部屋の年寄により芹沢側への謝罪によりその場は収まったのですが大坂町奉行所与力内山彦次郎がこれを問題としたようです。 また、水口藩の公用……」 「もうよい、残りは報告書にまとめて今日中に提出しなさい」 黒衣の、湊と呼ばれた者の言葉をうんざりとした調子で打ち切ると壮年の男、松平容保はそう告げた。 「仰せのままに」 湊は特に気分を害した様子も無く静かに命に従った。 「もう下がっていいぞ。」 失礼いたします。静かな声が響き、庭からは気配が消え去った。 松平は一人、誰も居なくなった庭に背を向けてため息をく。 ひどく頭が痛い。 芹沢による傍若無人な振る舞いもそうだが、最近は何やら不穏な動きがある。 これから先はつまらない事に煩わされるほどの余裕は無い。 そろそろ潮時であろうか? あれも根はただの悪人ではないということは分かってはいる。 気さくな面もあり、暇なときなどは子供らに面白い絵を描いてやるなどよい面も持っている。 しかし、だからといってあれの所業を許すわけにもいきはしない。 あれでも新撰組筆頭局長。 その肩書きがある限り、奴に対する周囲の評価は、そのまま新撰組に降りかかる。 奴の蛮行が隊を潰すこととてあり得る。 ゆえに見過ごす訳にはいかない。 近いうちに相応の手を打つことになるだろう。 松平からまた一つ重いため息がもれた。
/143ページ

最初のコメントを投稿しよう!

626人が本棚に入れています
本棚に追加