バーボン

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バーボン

カランカラン 開店して1時間、普段あまり混まないこの店も、今日は商売の神様が降りてきた様だ。 「バーボン」 入って来たお客はカウンターに座ると仏頂面でオーダーする。 私は静かにボトルを開け、琥白色した液体をグラスへと注いだ。 「久しぶりじゃないですか」 私は常連のその男に言った。 「あぁ、暫く来ない内にここはずいぶんと活気が出た様だ」 彼の視線の先には騒いでる男女が居た。 暗く薄いオレンジ色した室内には、明らかにその穏やかな空間を乱す一組のカップルがいる。若い女は男をなじり、若い男は黙って女を見てた。 「やれやれ」 そう言って男はカップルの観察を止め、私の顔を見た。 どうぞ、と言って私はグラスに注いだアルコールを男に差し出した。 男はグラスを持ち上げるとグイッと一気に飲み干して、直ぐにグラスを私に返す。 「ずいぶんと荒れてらっしゃる」 私は男に尋ねた。 普段、男はこの様に一気に酒を飲む様な事はしない。ゆっくりと唇をグラスにつけ、鼻や舌や皮膚といった五感で酒を楽しんだ。 カラリ 氷のズレた音がする。 男は黙って私の顔を見たが、寄越したそのグラスから手は放していなかった。 少しの間があり、私は男のグラスに液体を注いだ。 「いいんだ…」 そう言うと男は再びグラスに入ったお酒を飲み干した。 「お客さん」 思わず、声をかける。 男が店に来なくなったのは訳があった。 なかなか子供を身篭らない嫁の為に、禁酒を自ら申し出たのだ。 決意を決めたその日に、男は美しい嫁さんを連れこの店に来た。 「これが最後のお酒だな」 そう言ってあの日もバーボンを頼んだっけ。 涙目になった男から目を離す事が出来ない。 「駄目なんだ」 男は一言呟いて、空になったグラスを見つめている。 仲の良かった夫婦は、不妊という辛い現実に責なまれ、何度も流れた二人の愛は、とうとう二人その心まで、育む事をしなくなった。 「そうですか」 私は男からグラスを奪うと、カップに珈琲を入れミルク注ぐ。 男は黙って差し出されたカフェオレを見て、一言、 「要らねぇよ」 と言った。 しかし私はカップを下げる事なく洗ったグラスを拭き始め、後ろにいるカップルに視線を移す。 話している間にも二人の関係は更に悪化し、今度は男が女をなじってた。 一つ席を開けた所に座る二人の女性は、こちらのカップルを話題のネタに、二人を見て話している。
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