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――狭い路地裏の一角に、それはあった。
途中、恐らくは悲鳴を上げた本人であろう女性とぶつかったが、酷く取り乱していて男の呼び掛けにも反応せずに走り去ってしまった。
無理もない。
男は、目を背けそうになる自身を抑えてそれを見つめた。
「…………」
こういう時は、何を言うべきなのだろう。
駆け寄って、声をかければいいのか。助けを呼べばいいのか……。
しかし男は、体を動かすことも、口を開くことも出来なかった。
――それは、原形を留めていなかったから……。
死体など見慣れたものだったが、頭と手足を『もぎ取られた』ような『人間』を見るのは、流石に初めてである。しかも、異常な血の量からして、一人や二人ではない。
闇の中から、通りから差し込む微かな街灯の明かりで照らされたそこは、さながら地獄のように思えた。
現実離れしたこの場所で、鉄錆のような血の臭いが、唯一リアルを伝えていた。
「ほ……本部に連絡せねば……」
軟弱に震える声に、男は舌打ちした。
(数年のブランクは、やはり大きいか……)
関東制圧後、男は司令官の地位に就いていたため、前線で戦ったというのを現役時代というのであれば、さらに数年の月日を数えなければならない。
震える腕を押さえて、ポケットから携帯式の通信機を取り出す。
「あ……!」
掌にかいた汗が滑って、手から通信機が滑り落ちた。
何の変哲もない黒い機械は、地面の細かい石に取られて転がっていく。
男は、拾おうと慌てて腰を屈めた。そこで――はたと気付く。
血の海の向こうに、うごめく影が見えた。
この場合、犯人と考えるのが妥当だろう。
「ぁ……」
男の口から、殆ど吐息のような音が漏れていた。
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