大東亜戦争

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北支(中国)の小さな衝突(1937年7月7日の盧溝橋事件)を「北支事変」にし、そして「日支事変」に拡大し、「蒋介石を相手にせず」(38年1月16日)と声明して和平の途を閉ざして戦争を長期戦化・ドロ沼化していったのも、近衛内閣である。 盧溝橋事件は蒋介石軍・第29軍に潜入していた中国共産党員兵士が、スターリン・毛沢東の指示により挑発発砲して起こった事件であるが、7月11日の夜9時(日本時間)には現地で停戦協定が調印・発効したのである。 近衛首相は、これに呼応して同日夜9時から10時半にかけてマスコミ代表、政界代表、財界代表をそれぞれ順に招いて、「北支事変が起こった。内地の3個師団を派兵する」と大々的に宣伝して、7日と8日の2日間で終結した小さな事件を「北支事変」にしてしまったのである。 戦争に発展させ拡大するためにである。 関東軍参謀長・東条英機は7日8日午前5時に、参謀会議を召集して、「関東軍は北支那駐屯軍を督励し、一挙に北支那を占領すべきである」との方針を決定している。 天皇も中央の参謀総長も無視した方針決定である。
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