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私が「家」を捨て家内と駆け落ち同然で新しい生活を始めた当初は…
何もかもが新鮮で
なにもかもが残酷だった。
転職は同じ20代でも前半と後半では雲泥の差がある。
その泥にどっぷりと浸かった29歳の私に社会は冷たかった。
家は呉服店を営んでいる。
後を継ぐという逃れられない運命は私にとってそれは真冬の雨よりも重たく心に、身体を濡らし重く圧し掛かった。
一歩進むごとに水溜りに足を取られ、かといって立ち止まれば泥沼に沈み込むようだった。
だから闇雲に駆け抜けようとした。
心に暗雲が垂れ込め…その模様が顔に出てしまっているのに気付かないふりを続けていた。
しかしそんな生活の中でも幸せは訪れた。
娘の誕生だ。
私と家内が結ばれ愛を育んだ末に生まれた一つの命。
愛する家内の血と私の血が混ざり合っている娘。
出産には立ち会った。
予定日より3週間も早く家内は産気づいた。
朝早くに陣痛を訴えた。
そして産み、へその緒をきる頃には深夜も2時を回っていた。
看護婦が「御主人、元気な女の子ですよ」と三文小説のようなセリフを私は覚醒しきった頭で聞いた。
今の今まで赤子など猿か宇宙人にしか見えなかった私だったが娘を胸に抱くとその愛苦しさに自然と目頭が熱くなり、堪えられず声を上げて泣いた。
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