第二章・周家の華

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 ――一方、孫登は孫権に周瑾のことを話していた。  建業に帰ってから忙しく、それと父への複雑な溜飲がなかなか下がらず周瑾という周瑜の庶子と義兄弟になったといいはぐれていたからだ。  孫権は榻(こしかけ)にすわり、その話を聞くと目尻をトントン…、と二、三度叩いて面白げに呟いた。 「あの公瑾に庶子、か」 「はい。周瑾といい、とても美しい少年でした。そう…ですねあの周兄弟も整った顔立ちをしていますが…、周瑾は私が幼いとき見た周瑜の印象にそっくりなのです。香り立つというか」 「そっくりとはいうが、あのときそなたは六歳ではなかったか? 当時のこと、公瑾のこと良く覚えているな……まぁ、たしかにお前は公瑾の顔を見て、頬を赤らめておったな」  孫権は顎髭を親指でかきながら微笑んだ。  孫権、字は仲謀。  ――長江流域・江東、江南を含む呉の地を治める男の容貌はとても漢人らしくなく、彫りがふかく、むしろ西域人を彷彿とさせた。  澄んだ思慮深い瞳は青をたたえ紫髭は立派で貫禄と威厳が備わっていた。  それはこの国を十九のときから治めているという自任があるからだ。  兄・孫策は父・孫堅の悲劇的な死後、盟主の袁術に仕えていたが、江東六群を手中にした後、独立した。  けれど建安五年(西暦200年)不運にも恨みの矢がもとで夭折した――享年二十六歳。  早すぎる死……継嗣・孫紹は香薔の腹の中で生まれてはいなかった。  よってまだ十九歳の孫権が後を継ぎ、その後、幾多の困難や災厄にみまわれたが、二十年以上政権を維持し、江東の安定を保っている。  それにかつての英雄たちは老い死ぬが孫権はまだ若く人望と人を従わせる威があった。
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