家族がいて幸せ

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それが、今から六年前に主人が脳こうそくになりました。幸い早期発見で多少の手の不自由と会話に困難な所はありますが、その日から仕事が出来なく、収入もはいらなくなり、暫くは貯金を崩して生活をしていました。入院費も高額な金額がかかり、退院すれば通院費がかかりで、貯金もだんだん乏しくなって来ました。私も体が弱いため働きに出る事が出来ず、内職を頑張っています。主人が入院していた時、娘と次男の給料でどうにか首を繋いでいましたが、娘が四年前に結婚していきました。次男の給料と私の内職代で節約しながら生活をしていました。それでも、明るさだけは忘れないで家庭を盛り上げていました。それが、三年前に近所のいたずらに悩まされ、長男のうつ病がひどくなり、リストカット、薬を多量に飲むなど精神状態がまともでなくなり、そのうち、私までうつ病にかかり、不眠、イライラ、何をすることが出来なく辛い毎日をすごしています。近所からのいたずらめ日を追うごとにひどくなり、家族で話した結果、30年間暮らした家を売って引越しを決めました。 どうして生活をするのにお金に困るようになり、主人も後遺症が残っているのですが働きに出ています。次男も引越しのため職を止めて、次の場所で職を探したのですが、へんびな所なので、職がなく、この時は主人のパートのお金と、私の内職のお金で生活を生活をしなくてはいくなくなりましたが、お金は収入より支出のほうが多く、電気代、水道代がはらえなくなり、そのつどお金になりそうな物を売っては払ってました。そんな状態でも家の中は明るくしていました。このころ、三男がテンカンと言う病気になり、主人が今度はリュウマチになり、又入院することになりました。この時、1番に頭に浮かんだ事は入院費をどうしょうかということでした、子供達と「どうしょう」と毎日考えていました。朝がくれば「いくらかかるかなあ?」って話しばかりでした。主人には病院に行っても「どうにかなるから」って言って帰るのですが、心では「なんとかしなくちゃ」って事で頭がいっぱいでした。最後の手段で娘に相談して助けてもらいました。それから毎月一回通院するのですが、一回が一万円近く医療費にかかります。今も、もう一年になるのですが、快復していると思っていると再発して、又、一からの治療になります。次男も職が決まって「やれやれ」これで少しは支払いも出来ると思っていたら、
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