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「おはようございま~す。」
沙流(さなか)は事務所のドアを開け、中を覗き込んだ。
「所長~居ますかぁ?」
事務所の中には若い男が一人デスクに座っていた。この事務所の所長である樋口 睦(ひぐち むつ)だ。
座っていても判るほどの長身、容姿も上の上という、かなりの美丈夫だ。
「………何かあったんですか?」
沙流は睦の眉間の皺を見て、そう訊ねた。
「むう…」
睦は眉間の皺を更に深くし、ぼそりと呟いた。
「逃げられた…。」
「………?」
「ハンカチを拾ってやったら逃げられた…。」
「…所長、眼鏡はどうしたんですか?」
「………。」
睦は無言で顔を背けた。
“また”壊したのだ。
大体の事情がわかってきた。
おそらく彼は今朝いつもの日課である 散歩に出掛け、ハンカチを拾った。
そして、その人(おそらく若い女性)がハンカチを持っていたということに感動し、その人の顔をよく見ておこうとしたのだろう(ちなみに彼は最近の若い女性はハンカチを持ち歩かないと思いこんでいる。) 。
しかし、彼は何らかの理由で眼鏡を壊しており、女性の顔がよく見えない。
そのため 彼は必然的に目を細め、女性に顔を近づけた。
それをやられた女性の方はたまったものじゃない。
だだでさえ、表情がなく不機嫌に見える彼に目を細められ、顔を近づけられた日には、もう凄まれてるとしか思えないだろう。
その上、彼の整いすぎた顔立ちは恐ろしさを倍増させる。
逃げたくなるのも仕方ないというものだ。
かくゆう私もその一人だったのだから。
沙流は知らずため息をついた。
「…ハンカチは渡せましたか?」
「…渡す前に、“ごめんなさい”と泣きながら逃げて行った…。」
余程 怖かったのだろう。
沙流は内心、女性を哀れに思う。
トラウマにならなければいいが…。
「で、眼鏡はどうして壊したんです?」
「…踏んだ。」
沙流は再びため息をついた。
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