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背中は見えない:
時間の感覚を忘れているとき、人は今とは違う場所にいると思えてならない。
今の私は私であって、しかしその私は別の次元の私によって、その方向性が位置付けられているのではないか。そんな錯覚。
私の見るものは、見るべきモノの操作によるもの。感じるものは、感じるべきモノの操作によるもの。
つまりは、私は私という私を、別次元の私とは相容れない形で、私らしさという感覚を感じているのではないか。
そして私の感覚は、私の感覚を通して別次元の私に伝えられ、そしてそれが私へとフィードバックしていくのではないか。
だから私は、時間を忘れるのではないか。
手を伸ばしても触れられないモノを感じる。空気や光、音、不可視なモノ、感情、願い、欲望。
そのどれもを私は知る。別次元の私を通して。
時間を忘れているとき、私は誰かに私を預けて、得体の知れない何かにお辞儀をし、それからすっぽりとガラスの靴を履いては力一杯にそれを割っているのだろう。
何故か笑えない。
笑うことが許されないと、人は笑えない。
笑顔には許可がいる。
その許可は、別次元の私に委ねる他に得られはしない。
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