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フアマ家の現在の頭首は変人と評判のバラフ・フアマである。
彼の娘ロイザ・フアマは、ファスの男達の噂には殆どのぼらない。
幼い日の記憶では、ロイザは愛らしかった。が、父は変人と呼ばれている男だ。自分がさも正常であるかのように振る舞いたがるファスの若者には、変人を父に持つ娘に興味を示す者は居なかった。
その傾向がファスの文化を停滞させているのだが、自分の狭い世界を世界と捉え、それ以外を世界と捉えない彼らに分かる話ではない。
どだい、ファスより外に出たことがない輩が大半で、明らかに進んでいる他国の都市の文化を細かすぎるだのと恥じもせずに言える辺りがファスの貴族の実態を語っている。
彼らにとって優れているのは、ラミナスと英雄達の時代のもの、即ちファスにある文化である。
それ以後に生まれた文化は言ってしまえばファスの文化の模倣でしかない。
模倣は所詮模倣。いくら技術を駆使しようと、それは見苦しく小賢しい。
所詮まやかしに過ぎないのに、やれ美だの新しい表現だのと。そんなものより我々は脈々と受け継がれてきた伝統的な美を大切にする、と。
が、彼らのいう伝統は停滞である。
伝統とは常に更新され得る柔軟さと寛容さを持ったものだ、とカーリンは思う。それを口にすれば、彼らは言うだろう。
お前は虐げられているからそうなのだ、と。お前も同じ身分に居てみろ。そんな気はおきない、と。
この言葉がファスの貴族の精神的な幼さを表している。
彼らの言葉は全く逆にもなる。彼らがカーリンと同じ立場に居るのなら、彼らも今のファスを批判するのは当然だ。
ならば、何故俺の考えを否定する?
答えは簡単だ。
他者への配慮の欠如。同族間でしか通じない『常識』に固執し、広い世界を見ようとしない頑なさ。そして、文字だけで知った世界を世界と思える単純さ。
1人では何もできないのに群れた途端に元気になる。自分たちの生活に固執しているだけならまだ可愛いが、それを広げようとすらする。既に時代遅れなしきたりや、信仰に基づいた生活を広めようにも民衆はより効率的な生活様式を生み出している。既に宗教が神聖でないことも悟っている。神聖さが誰によって汚されたかも知っている。民衆の大多数が薄汚いから民衆は薄汚いと貴族が思うのと同じで、大多数が無知だから貴族は無知だと民衆は考えている。それは聖職者にたいしても同じだ。
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