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先ほどまで多くの人で賑わっていた体育館も人がまばらである。初日の部活動も終わり一年生はとっくに帰っていた。二、三年も今さっき終わったようで続々と体育館から姿を消す。
その体育館でかれこれ一時間近く話こんでいる二人がいた。ヤドカリと千草の二人。彼らは体育館の舞台に座り部活を眺めながら過去の話に花を咲かせているわけだ。
「懐かしいねー」
「そうだね、もうあれから三年も経つんだよ。僕も昔と変わらないとこもあれば変わったとこだってある――」
「……うん」
「ん? どうしたの? キツネ?」
ヤドカリは昔から千草のことを『キツネ』と呼んでいた。ヤドカリの呼ぶ『キツネ』はとても優しくて暖かいものなのに今の千草にはそれがただ鬱陶(うっとう)しい。
それも全てはウサギの発言からだった。ウサギの放った「ひ・み・つ」という言葉は恐らく千草のことを気にして言ったに違いない。ウサギはヤドカリと付き合っている。千草はそう考えていた。
だから、ヤドカリからその言葉が聞きたくて、千草はこんなことを口にしていた。
「貴弘は彼女いるの?」
「いないよ」
ポカーン。千草の開いた口が塞がらない。あまりの予想外の答えに、そしてあまりの即答に頭の回転が追いつかない。ヤドカリはその千草の様子を見て大体のことを察したようで呆れながらにこう言った。
「なんか、キツネは勘違いしてるかもしれないけど、木村は中学が同じだっただけだよ」
「……」
我を失ったかのような感覚。フワリと宙に浮いて空からみんなを見ているような。夢見心地な感覚で千草はとにかく安心した。
「キツネ? 大丈夫?」
ヤドカリが声をかける。千草の感覚が地面へと降り立って研ぎ澄まされる。
――今、貴弘に言うこと。それは……。
「……うん、平気。あのさ、貴弘。昔にさ……」
言いかけてふと考える。まだ早いと。これからウチらの関係を昔のように戻したあとにまたこの話の続きをしようと。今はそう思えた。だから、千草は首を振ってこの話を止めた。
「ううん、やっぱりなんでもない! 貴弘、行こう!」
そう言って千草は走り出す。全てのうやむやは晴れて今は気持ちがいい。これからのことを考えるとワクワクしてくる。希望ある未来へと――。
「行くってどこに行くの? というか着替えないと――」
ヤドカリの声は誰もいなくなった体育館に響き渡った。
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