山形・最終日

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 プーは言った。 「俺のひいひいじいさんに当たる人だ。あの顛限院の二代目」  ひいひいおじいさんと言うことは、高祖父に当たる。つまり、プーのおじいさんのおじいさん。 「今から百年くらい前のことだ」  その話は、プーの家系に伝わる話らしい。  百年前と言うと、ちょうど日本は、日清・日露戦争の真っ最中であり、そして太平洋戦争が始まろうかと言う頃である。 「日露戦争で国が莫大な予算を使って、国民の生活はかなり苦しかったらしい」  朝から晩まで低賃金の工場で働いても、毎日ご飯が食べられるかどうかと言う状態である。  東北地方においても、徴兵は免れず、農村部の働き手である若者を失い、米や農産物の値段は高騰し、冬はかなりの飢餓状態にあったと言う。 「ただし、一家の主は徴兵されなかった」 とプーは言った。  要するに、顛限院の二代目であったプーのひいひいおじいさんは、徴兵されていないのだ。  彼は続けた。 「その頃、あの村は最悪の状態にあった」  日本全国が戦争の経済圧迫に喘ぎ、飢えていた時代である。  あの顛限院がある村は差別を受け、外部の人間が食料を求めて村を荒らすようなことは、日常茶飯事だったそうだ。 「顛限院は村を守る為にある」 とプーが言っていたが、その状態で村人たちは 「顛限院は守る為にあるはずなのに、こんなに苦しい。自分たちが苦しいのは、顛限院のせいだ」 と怒りの矛先を、顛限院に向けたそうだ。 「そんな…」  あたしは胸を痛めたが、プーはどこか諦観を混ぜた声で 「それは仕方ないんだ。顛限院に限ったことじゃなく、宗教ってのは時と場合によっては、憎しみの対象になる」 と言う。  そして、さらに彼はこうも言った。 「苦しい時ほど、人をまとめる力がなきゃ、宗教家としては失格なんだ」  怒りや憎しみの矛先を向けられた時、人に救いの手を差し伸べたり、苦しみを乗り越える方法を教えるのが、宗教の役目だと、彼は言う。  しかし 「その時の顛限院には、その力がなかった」 とプーは呟いた。
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