山形・最終日

19/19
75998人が本棚に入れています
本棚に追加
/967ページ
 それであたし達の山形旅行は終わりを告げた。  仙人沢の物静かな墓地で、プーが手を合わせた時の、あの姿。  あれは食事の時に見せる、彼の挨拶の姿ととてもよく似ていた。  あたしがあの時に言おうとしたこと。 (もしかしたら、ご飯の時、プーはひいひいおじいさんのことを考えてる…?)  彼の高祖父は、余りの村の飢餓に身を挺し、望まぬ即身仏になるため、山籠もりをしたと言う。  山籠もりの間、穀物を断ち、木の根を食べ、自ら餓死状態に体を近付けて行く。  身内にそんな苦しみを味わった人がいるから、プーは食事を大切にするのではないだろうか。  彼に直接それを聞く機会はなかったが、その後、彼と食事をするたびに 「頂きます」 と綺麗に手を合わせるその姿が、ただの挨拶を越え、祈りの姿にすら見えた。  しかし、もしそうだとしたら。いや、ほぼ確実に。 (プーのひいひいおじいさんの霊は、まだこの世に残っている…?)  あたしはそう思わずにはいられない。  プーがあの墓地で言っていた。 「自ら即身仏になろうとするってことは、他の人が救われれば、自分は報われるって考えだろ。そういう心の持ち主なら、きっと恨みなんか残さずに消えるんだろうな」  しかし、プーの高祖父は違う。  望まぬまま即身仏になろうとしただけではなく、自らの身に禁忌とされる呪いすら掛けたのだ。  しかもそこまでしたのに体は腐り、即身仏にはなれずに土葬された。 「人が手を合わせて拝むだけで、霊は癒される」  プーがそう言っていた。  多くの人の墓参りもあり、きちんと癒されているであろう、自ら即身仏になろうとした仏僧と違い、禁忌の呪いを行った高祖父の弔いを、顛限院では行っていない。  いくらプーがお墓参りをし、食事のたびに祈っていたとしても (プーの高祖父は、まだ癒されてない…)  普通の霊は、何十年と言う時間を掛けて、ゆっくりゆっくり癒されるものだからだ。  自らに呪いを掛け、体を腐らせ、その墓すら掘り起こされたと言う人物の魂は、もしかしたらまだあの村を彷徨っているのだろうか。  或いは、呪いや恨みを忘れ、癒されているだろうか。  その答えを、あたしが知る由はない。
/967ページ

最初のコメントを投稿しよう!