54人が本棚に入れています
本棚に追加
「厳密にはね、やめたわけではないんだ」
軽く微笑しながら、小夜子はそう言った。
「サンタがサンタの意思でサンタをやめることは出来ないの」
「制約みたいなものがあるのか?」
「そうじゃなくて、人間は人間の意思で人間をやめられる? 『俺は人間を止めるぞー!』なんて叫んでも雪崎くんは人間を止めることは出来ないでしょ? ほら、言ってごらん、『小夜子、俺は人間を――』」
「言わないから」
「エロゲやめますか、人間やめますか」
「なあ、叶」
「サンタでいいよ」
「カナエ。――真面目な話をしにきたんだ」
小夜子はそっと視線を外して、自嘲ともとれるような小さな苦笑を漏らした。
そして深い色の瞳で幸一を見据える。
「雪崎くんは人間を止めたいと思ったことがある?」
「……いや、ないよ」
辛いことは沢山あった。
けれども人間を止めたとしてもそれが消えるとは限らない。
そもそも、そんな考えに至るほどに不幸でもなかった。
不運ではあったが、人間の中から言っても、きっと幸一は“幸せ”な部類だった。
両親がいて、学校に通えて、寝食に困らず、戦があるわけでもなく、ほんの一日だけ不幸な日が一年にあったとしても、他の364日はきっと普通の“幸せ”な人間だったから。
小夜子は湯気の立つカップにふぅと息を吹き掛ける。
ゆらゆらと上る湯気のベクトルが、一瞬だけ歪んだ。
「名も無き運び人と名も無き従者。決められた生涯、終わらない生涯。自分と他者の境界が虚ろな種族……それが私、“サンタクロース”。シフォンも、ずっと昔はどこにでもいるようなただのトナカイで、無個性で、仕事に生涯を捧げることでしか価値を見出だせないような存在で。私達はそれが――嫌だった」
「――」
「だから、シフォンには名前を与えたし、私は私であるよう心掛けていた」
人間が持つイメージとは掛け離れたサンタクロース。
有り得ない言動のトナカイ。
個性――それが彼女達を形成するもの。あるいは絆。
――私はこれから“かなこ”と名乗ります。
どうでもいいようなことを真面目に口走る。トナカイ。
主人に捨てられた彼女が欲しかったかもしれないもの、取り戻したかったかもしれないもの。
しかし――
「あいつと一緒にいることで、“お前”は“お前”でいられなかったのか?」
最初のコメントを投稿しよう!