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不意に来た意識の揺らぎは、幸一の五感を緩やかに奪っていく。
何かされた――そう思った時には遅かった。
「もう、一人でって約束したのに」
不意に聞こえた澄んだベルの音。
蜃気楼のような“もや”の中から驚いたような表情の中井が現れた。
薄れていく視界でそれを捉えたのが、幸一が見た光景の最後だった。
「彼をよろしく、またね、シフォン」
彼女が去っていくのをうっすらと感じながら、幸一の意識は穏やかに途切れた。
気づけば散乱した自室にいた。
ベッドに横になる自分の姿を、幸一は何か夢でも見ているような気分で確認する。
指を動かす、次いで腕、足、首、どれも正常に動いた。
「どけ、獣」
自分の腹を枕に眠る中井の頭を勢いよく揺らす。
「ひゃわわ!」
「起きろ馬鹿」
「鹿じゃないです。あれ、何をしてるんですか?」
「こっちの台詞だ馬トナカイ」
幸一は両手で掴んでいた中井の頭を強引に投げた。
中井の身体は勢いのままに傾いて、振り子のように戻ってくる。
「ありゃ」
「いや、なんでお前ここにいるんだよ」
「ここ、というと貴方の自室ですか? それとも貴方の小脇ですか?」
「本来聞きたいのは前者だが、強く聞きたいのは後者だな」
「動物の本能みたいなものですよ、ほら、飼い主の布団に入り込む飼い猫みたいな」
「トナカイと添い寝なんて聞いたことないし、お前を飼った覚えはないっ」
「まあ、飼うだなんていやらしい」
「中井、ひっぱたいていいか?」
「喫茶店に置いてくわけにもいかないじゃないですか」
それはそうだが、と幸一は溜息をつく。
「飼い主を捕まえるチャンスだったろう。お前、約束破ってついてきてたんだろ?」
あの場にいてはいけない筈の中井がいた。
それは最後の意識でしっかりと把握している。幸一がここにいるのも、中井が運んだからだ。
あの場なら、さすがに小夜子も逃げられないだろうし、中井自身が捕まえて話をするなり拘束するなり出来たはずだ。
しかし、ここに中井がいるということは、それをしなかったからだろう。
主人の去り際の言葉――彼をよろしくという言葉を忠実に守るために。
「理由そのものは聞けましたし……」
小夜子が語ったその理由、それは幸一にとっては思い出したくはないフレーズだった。
「それに……貴方の方が心配でした」
「俺のことはいいんだよ」
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