第二章

10/23
前へ
/60ページ
次へ
   不意に来た意識の揺らぎは、幸一の五感を緩やかに奪っていく。  何かされた――そう思った時には遅かった。 「もう、一人でって約束したのに」  不意に聞こえた澄んだベルの音。  蜃気楼のような“もや”の中から驚いたような表情の中井が現れた。  薄れていく視界でそれを捉えたのが、幸一が見た光景の最後だった。 「彼をよろしく、またね、シフォン」  彼女が去っていくのをうっすらと感じながら、幸一の意識は穏やかに途切れた。  気づけば散乱した自室にいた。  ベッドに横になる自分の姿を、幸一は何か夢でも見ているような気分で確認する。  指を動かす、次いで腕、足、首、どれも正常に動いた。 「どけ、獣」  自分の腹を枕に眠る中井の頭を勢いよく揺らす。 「ひゃわわ!」 「起きろ馬鹿」 「鹿じゃないです。あれ、何をしてるんですか?」 「こっちの台詞だ馬トナカイ」  幸一は両手で掴んでいた中井の頭を強引に投げた。  中井の身体は勢いのままに傾いて、振り子のように戻ってくる。 「ありゃ」 「いや、なんでお前ここにいるんだよ」 「ここ、というと貴方の自室ですか? それとも貴方の小脇ですか?」 「本来聞きたいのは前者だが、強く聞きたいのは後者だな」 「動物の本能みたいなものですよ、ほら、飼い主の布団に入り込む飼い猫みたいな」 「トナカイと添い寝なんて聞いたことないし、お前を飼った覚えはないっ」 「まあ、飼うだなんていやらしい」 「中井、ひっぱたいていいか?」 「喫茶店に置いてくわけにもいかないじゃないですか」  それはそうだが、と幸一は溜息をつく。 「飼い主を捕まえるチャンスだったろう。お前、約束破ってついてきてたんだろ?」  あの場にいてはいけない筈の中井がいた。  それは最後の意識でしっかりと把握している。幸一がここにいるのも、中井が運んだからだ。  あの場なら、さすがに小夜子も逃げられないだろうし、中井自身が捕まえて話をするなり拘束するなり出来たはずだ。  しかし、ここに中井がいるということは、それをしなかったからだろう。  主人の去り際の言葉――彼をよろしくという言葉を忠実に守るために。 「理由そのものは聞けましたし……」  小夜子が語ったその理由、それは幸一にとっては思い出したくはないフレーズだった。 「それに……貴方の方が心配でした」 「俺のことはいいんだよ」  
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

54人が本棚に入れています
本棚に追加