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今夜は来ないか...
時計の針は12時に迫ってきたが、彼の姿は見えない。
外は雨が降っているらしく、今夜は入ってくる客の靴が濡れていた。
雨の日だから、来るかと思ったが、そういう訳でもないのか...面白い。
「...はぁ」
何度目かになる溜息を聞きながら、その主をチラリと見た。
水面下でバタ足をするタイプの彼が隠しもせずに足掻いている姿は、自然で悪くない。
「菖蒲さん、幸せが逃げていきますよ?」
相手には不自由していない菖蒲さんが、珍しく弱気になっているらしい。
私から見れば、相手の子もノンケとは言え、わかりやすい程に菖蒲さんを意識しているというのに...恋は盲目とは、よく言ったものだ。
「…そうだね」
そう呟く彼は、グラスを煽る。
その奥手な姿が、どこか自分と重なった...
もっとも、私の場合は踏み出してもいなければ、気持ちすらあやふやなものだと、認めないできたのだが。
...カラン
「いらっしゃい...ませ」
私は上手く笑えていただろうか?
視線の先には、例の彼が立っていた。
「メニューはありますか?」
彼が珍しく、私の正面のカウンターに座る。
「どうぞ...」
メニュー表を渡すと彼は真剣に飲み物を選んでいるようだった。
仕事終わりのせいか、ネクタイを外し、髪が少し乱れているようで、いつもより幾分落ち着いて見える。
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