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飲み会で夜遅くに帰宅した私は駅の近くに停車していた個人タクシーを見つけて安堵したのも束の間、すぐさまタクシーをつかまえた。
「F木台まで」
帰宅場所は歩いても帰れる距離にあるが、酒を飲んでいたこともあってか、タクシーにしたかったのだった。
わずかワンメーターくらいしかない距離を走らせるには申し訳ないと思った私は運転手に一言詫びた。
「近くてごめんなさいね」
運転手は、手を振りながら陽気そうに「いいんですよ、いいんですよ」と言ってくれた。
「それに…あなたが最後のお客さんなんですよ」
「あ、仕事終わりでしたか?」
「いえいえ、もうタクシー業を引退するんです」
顔は見えないが、声質では歳をとった人と思えたが、いきなり歳を聞くのは不躾かと思っていた矢先に運転手は「今年で74になるんですよ。さすがに引退ですよ」と簡単に言った。
「すごいですねぇ。この業界は長いんですか?」
「タクシー業界に入ったのは20年前くらいです。それまでは企業の社長の運転手をやっておりました」
その運転手が、今日引退し、最後の客が私。それもワンメーターばかしの距離で引退。そう考えたら急に侘びしく感じたよう気がした。
「あの…」
「なんでしょう?」
「あなたが20年間、走ってきた道を走ってくれませんか?」
酔いの勢いと侘びしさもあってか、ふと思いついた一言を言った後、運転手は車を止めて、私の方へ振り返った。
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