時の旅人

8/9

11人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
☆☆☆ 初めて開く地元での個展。 沙織は少し緊張していた。 もしかしたら、こんな風景画を見に来る人は居ないかもしれない。 個展が始まってから未だに誰も来ないのだ。 そんな不安を胸の奥にしまうと、沙織は壁に飾られている一枚の絵を見つめた。 自分の部屋から見た、この街の夜景。 沙織の中では傑作だった。 そして思い出深い絵でもある。 留学の事を打ち明けたあの日、無言のまま部屋から出て行く和樹を追う事はしなかった。 そして自分にけじめをつけようと、キャンバスに筆を走らせたのだ。 その時描き上げたこの絵には、沙織の全てを注ぎ込んだ。 「この絵は冷たく、そして悲しい……」 沙織の後ろから聞こえたその声にドキリと胸が高鳴る。 怖くて振り向く事が出来ない。 「よく帰ってきたね。おかえり」 沙織は時間が止まっていた。 もう会う事はないと思っていた。 忘れようと必死になっていた。 だが、そんな事はもう関係なかった。 「和樹……」 自然と流れる涙が頬を伝わっていく。 そこには満面の笑みをした和樹が、両手を広げて立っていたのだ。 沙織は震えながら和樹の胸の中に飛び込むと、何時までも声を出して泣いていた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加