2301人が本棚に入れています
本棚に追加
「お、お龍―――っ!!」
冷え切った声と姿を確認したと同時に、男は飛び上がる。乱暴に手放した小鉢と箸を和葉が危機一髪の所で受け止めた。
“お龍(りょう)”と呼ばれたハルは、ぷいと顔を背けるとわざとらしく腕を組んだ。
「別に、怒ってへんけど?
“才谷はん”にそっちの趣味があったやなんて、夢にも思わへんかっただけどす」
「いやいやいやいや……怒ってるき。そんに赤の他人みたいな名前で呼んでるんが、その証拠ぜよぉ」
取り繕ろうとハルの腕を掴もうとするも上手く避けられる。
確かに畳に倒れ込んだ和葉と笑顔でその横にもたれる男。最初から見ていなければ、あらぬ予測をされても仕方ない。
それにしてもハルに頭が上がらない男は情けなくみえた。高身長のはずが随分と腰の低い事。
奇妙な光景に和葉は思わず吹き出した。
「おハルさん。彼とは何の関係もない。大体、好みでも証拠でもないんだ、自分」
埃を払いながら立ち上がった和葉はハルに苦く微笑む。
「だから誤解しないでくれ。自分のせいで二人の仲が険悪になっちゃ、困る」
「…………別に、関係ない」
ほつれた後れ毛を耳に掛けた和葉が言うと、ハルは深い溜息を吐き出す。
そして、そのまま部屋を出てスタスタ歩き出してしまった。
「あー、怒らせてしまった。すまない……」
「心配せんでええき。ちいとばかり嫉妬深いだけぜよ。あぁ見えて、お龍は賢い女子。頭ん中では許してくれてるき」
へらりと笑ってみせる男。
ずっと傍観を決め込んでいた登勢の表情を見る限り、そう深刻でもないようだ。
言わずとも二人は恋仲かあるいは夫婦か、それにしては中々お目に掛かれない不思議な関係に和葉は口元を緩める。
そして、ふと疑問を口にした。
「にしても、何故おハルさんと呼ばなかったんだ……? 確かさっき、お龍――」
「そやっ! 殿方、せっかくやし昼餉一緒にしまへん? 才谷はんも煮物だけや足りひんですやろ?」
唐突に和葉の言葉を遮った登勢の提案に男は大きく頷いた。
少しばかり大袈裟な二人の会話に、和葉は違和感を感じる。
最初のコメントを投稿しよう!