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怒りを露にする和葉に男はあくまでも笑顔で対応する。
ここは男が泊まっている部屋なのだろう。衣服に書物に刀、がらくた等、部屋中には物が溢れていた。
「突然叫んだと思えば連れ出して……どういう了見だ」
「了見も何も、やっと会えたちゅう思うたが……おまん、わしの事覚えとらんのか?」
今度は驚いたように目を丸める男。よく変わる表情は人懐っこく、和葉が強引にでも帰れないのはそこにあった。
(覚えて、いない……?)
和葉は男の顔を見遣る。歳は近藤より少し年上といった所だろうか。
鋭いながら愛嬌ある顔立ち、見上げる程の長身、くたくたの着流しと癖毛特徴ある訛り。
「……っ! もしかして、お前は……」
それは丁度、蛤御門の変が起きる前だっただろうか。
『――嬉しいそうな面しちょって、何があるがか?』
ニカリと笑った顔と声が、和葉の記憶から鮮明に思い出される。
屯営帰りの和葉とぶつかった男。取り留めのない事だが、確かに和葉の記憶に男はいた。
「やっと、思い出したかぁ。わしも、さっき気付いた所き」
「何処かで見た顔だったとは思っていたんだが……それにしても、何故一度会っただけの自分を捜していたんだ?」
名も知らぬ二人に勿論接点はない。和葉が眉をひそめると、男はニコリと笑った。
「ずーっと気になってたんぜよ。楽しい“がーる”が忘れられへんかったんぜよ」
「がぁる? 無礼なお前とは接点があるとは思えないが」
警戒心を解く事なく冷たく言う和葉。目を細めて男を見定めるも、読めない。
そうする内に、男は右手を着物の袖に入れた。ごそごそと何かを探る仕草に、和葉は身構える。
「見せたかったもんがあるんぜよ?」
男が取り出したのは、不思議な形をした鉛の塊であった。
妖しく光る漆黒のそれは――、酷く美しい。
「何だ、それは……」
ゴクリと和葉の喉が鳴る。
説明されずとも、それがとても危険を孕む事に本能が気付いた。
逃げるべきだ、そう頭が言おうとも身体は好奇心を抑えられない。
和葉はそっと手を伸ばした。
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