煙草と海とキャンバスと

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 17歳の春、私は恋をしていた。  今でも忘れられないのは、キャンバスに向かって絵筆を持つ彼の、美しい色彩を混ぜ込んだように綺麗な瞳。  私は小さい頃から絵を描くのが好きだった。五歳の誕生日に父親が買ってくれたクレヨンは、たった一ヶ月で短くなって使えなくなってしまった。  描けば描くほど 「すごいわね」 「上手ね」 と褒められて、私は飽きもせずにがむしゃらに絵を描いた。  例えば、キッチンで夕飯の支度をする母親や、リビングに飾ってある置物、庭に咲いたデイジー。  目の前にあるものを、なんでも描いた。  私は賞を獲りたいと思って描いたことはなかったけれど、小学校でも中学校でも、美術コンクールの賞は何でも簡単に獲れた。  誰もがそれをちやほやと褒めてくれて、それはそれで気持ちが良いものだ。 「高校は美術科に進んだらどうだ」  中学の教師はそんなことを言ったけれど、私は 「別に普通科でいい」 と言い張った。  別に将来、美術でお金をかせごうなんて考えていなかったし、ただ絵が描ければそれで良かったからだ。  そんなわけで、私は私立S学園という高校に入学した。  中高、大学まで一貫の自由・自治・自律をモットーにした自由な学校だ。入学式初日から、ずいぶんたくさんの部活動の勧誘を受けた。  それでも (帰宅部でいいや) と、私は全ての勧誘をさらりと流して断った。  一応、美術部というものもあるらしい。でもあまり興味がなかった。  だって美術部は年に二度ある美術コンクールへの出品と受賞を目標としていると言って、部員はこぞってそれに応募するのだと言う。  美術コンクールと言うのは、毎回テーマが決まっているのが一般的だ。  私はそういったテーマに縛られて絵を描くのが嫌いだった。 (画用紙と鉛筆があればいい)  私は描きたいものを描く。それだけだ。  そう思っていた。  でも結論だけ言うと、あたしは美術部に入部してしまったのだ。  それもこれも美術の先生が、私のクラスの担任だったのが悪い。  当時の私の名前は、絵画コンクールのジュニア部門ではそこそこ有名だったからだ。 「そんな才能があるのにもったいないわよ。絶対美術部に入った方がいい」  そう熱心に頼み込まれること、一ヶ月。  いい加減に逃げるのが面倒くさくなってしまった。
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