"小説"は"現実"より奇なり

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 幼い頃から天才と呼ばれる事に慣れるのには時間はかからなかった。  幼稚園、小学校低学年までの授業内容にいまさら学ぶべきモノを感じなかったし、周りとの違いに気付かないハズもなかった。  もちろん、周りと比較してしまえば、考え方も当然のように大人びていたし、既にやり尽くしてしまっているゲームの発売日に騒ぐなんて事も有り得るはずがない訳で。  そう、"二度目"の小桜 拓也(こざくら たくや)としての人生の最初の数年は、僕からしてみれば"退屈"の二文字以外の何ものでもなかった訳だ。  もしも過去に戻る事が出来たなら、なんて誰もが一度は考えた事のある馬鹿げた妄想や夢物語を今まさに体験している僕は、よく聞く言葉の"現実は小説より奇なり"って言葉はあながち間違いではないなと、常日頃から認識せざるを得なかった。  僕にとって、このありふれた日常すべてが非日常であり、非日常である今がまさに当たり前の日常であるのだから、日常と非日常を区別するなんて無意味で馬鹿らしい事をするばずもなかった。  僕の過去の記憶に残る未来の映像は、高校三年生の夏で止まっている。 気が付いたら3歳だった僕が明確に思い出す事が出来たのはこの不思議な日常が始まるその前日までで、何故、何がきっかけでこのような状態になったのか、その日に何があったかは記憶に残っていない。いや、それも正しい表現ではなく、思い出そうとすると何か白いモヤのようなものが掛かっていて上手く映像が再生されない、といった感じだろうか。  稀に断片的な記憶が再生される事もあったが、さほど気にする事もなく、刻が当日に近づくにつれてそのうち思い出すだろうと楽観的に考えていた僕は、戸惑いもあったがどちらかというと二度目の人生を楽しんでいたように思う。
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