"小説"は"現実"より奇なり

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 さて、先程言った「楽しんでいたと思う」という表現でもわかるように、既に楽しむ状況は終了してしまい、過去形の表現になってしまっているのにはそれなりの理由がある。  例えばもしも僕のように記憶を保持したまま過去に戻ったら人はどうすると思う?  まあ人によって様々だろうけれど、天才と呼ばれ続けるには日本の学業は難しすぎたし、某有名検索サイトの株を安い内に買っておくなんて金もなければ年齢的に権理もなく、残念ながら両親は至って普通の思考回路を持っている為にそんなガキの戯言を聞き入れるはずもなく、楽に金儲けって訳にもいかなかった。  つまりどういう事か。つまるところ、変化なんて起きないのだ。  そりゃあ小さな変化は沢山ある。全く同じ人生なんて成るはずがない。でも、変わらないのだ。それは大まか見た僕の進んでいる道の事。仲良くなる友人とどんな時に出会うか、どんな恋愛をしていくか、どんな学校生活を過ごすのか、何を思って生きていくのか。細かな時期や多少ニュアンスが違っても、大きく見ると結局は変化しない。  ―そう、しないはずだった。  世界の変化に気がついたのは高校一年の冬。一度目の小桜拓也としての人生では、この年の秋に父親は心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となっていた。誤差はあるにしても一ヶ月前後といった所のはずが、いつまで経っても健康そのものだった。  それはとても喜ばしい事だったのだが、何かこの世界の歪みのようなモノを感じていた。  それでもやはり嬉しい事に変わりはなく、一度目の人生では父を亡くしてからは無気力になってしまった母も父が生きている今回の状況ではとても優しく、元気でいてくれていた。  その後も特に嫌な事もなく、僕の記憶にない出来事が目立つものの別段困る事もなかった訳なのだが、高校三年生になったばかりの春、今考えればあの出来事がきっかけで僕はこの世界を不審に思い出したのだった。
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