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ハシモトの家庭環境は私の友人史上、最悪の環境でした。
ハシモトがレイプで出来た望まれない子供でした。
ハシモトには4人の弟妹がいますが全員父親が違うとハシモト自身が行ってました。
母親は今でいうネグレクトで育児放棄をしていました。
民生委員が実質的にハシモトブラザーズの面倒を見ていました。
しかし金銭面でハシモトブラザーズを民生委員が援助していたわけではないので、ハシモトブラザーズの衣装は着たきり雀でボロボロでつぎだらけのコテコテの服でした。
食事は近隣の農家(民生委員含む)から自分で調達(泥棒)していました。
捨てられてる野菜を拾って食べていたそうです。
母親はハシモトブラザーズには給食費(遅れて支払ってたりツケにしてました)だけは支払ってました。
林間学校の時期は羽振りが良かったようで参加出来ましたが、修学旅行の時は資金繰りつかずPTAの会費で行かせてやったそうです。
カンボジア人のような肌色と栄養失調でポコッと出たお腹からハシモトのあだ名はカンボジア難民でした。
ブラザーズそろって同じ肌色していたのでハシモトブラザーズは単体でも総数でもカンボジア難民と呼ばれていました。このようなあり得ないような環境下で暮らしていたため、自分で何でもしなくてはいけないため小5の段階で自炊していたようです。
ただ米が買えないので青菜ばかりを食していたようです。
給食のときは意地汚いと思われるほど自分の器だけに鯨肉や鶏肉を突っ込んでいました。
家に風呂がないことから入浴の習慣がなく、用水路で体を洗ったりしていました。
昭和56年にこんな悲惨な生活している人は本当に少なかったろうと思います。
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