真田絶体絶命の危機

13/14
前へ
/915ページ
次へ
~~幸隆からの書状~~ 正幸。そちの噂はワシも耳にしておる。さすがワシの子孫達じゃ。嬉しく思うぞ。 徳川、武田家の遠江侵略は、そなたの主君・織田信長殿の謀り事じゃ。そちが駿河に入りし頃から、遠江を譲る事になっておった。 国を譲る代わりに、美濃国への侵略はせぬ。と盟約を裏で結んでおった。 だが信長は、遠江引き渡しを何かにつけ引き延ばしにしてきた。痺れを切らした信玄公は何度も織田の背後を襲うべく動こうとしたが、そのつど上杉、北条が攻め入ってきた。きっと織田の仕業であろう。 そうこうしている内に、信長は畿内平定をし天下に号令しておる。遠江引き渡しを、今の今まで引き延ばしたのは、天下を取るための時間稼ぎじゃ。畿内平定をした信長は、やっと遠江を譲ると申してきおった。 「どう言う意味か解るか?」武田、上杉、北条と戦える力をつけたからじゃ。 比叡山焼き討ちをすれば武田が怒る事も承知だったはず。武田を怒らせば遠江引き渡しの折、駿河に攻めるは必定。 信長は、そなたらと武田をぶつけ、双方弱った所を織田、徳川連合軍で攻める腹じゃ。 そなたらは信長に酷く嫌われておるようだからな。 信長の策に乗らぬ為ワシは遠江受け取りを拒否し駿河攻めを辞めるよう信玄公に促したが、信長に欺かれた事と、比叡山焼き討ちで我を忘れた信玄公は、ワシを疑い出した。駿河の真田と通じてるのでは無いかと。 同じ六文銭で、真田の名、駿河真田も優秀ゆえ縁があるのではと。ワシは武田を守り、そなたらとは戦いたくなかった。 信玄公は、まんまと信長の策に嵌まってしもうた。もう戦は避けられぬ。ワシはもう先が長くないゆえ、ワシの事は気にせず全力で武田に当たれ。良いな。厳命じゃ。 子息達が頼って来た時には、宜しく頼むぞ。                ~真田弾正幸隆~
/915ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6599人が本棚に入れています
本棚に追加