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何時間程歩いただろうか。女は止まない雨の中、木の影に腰を下ろすと、濡れた長い髪を鬱陶しげに払いのけた。
「焼いちゃった、な……」
そう呟くとふと首飾りに触れ、目元に哀愁を漂わせながらその飾りの裏に彫られた名を見つめる。
"Shia"
『シア』
それが女の名前だった。
女――否、シアが先程燃やした物は、自分の家。
家族も無く、村の住人から迫害を受け続けたあの家には何の思い出も残ってはいなかった。
しかし、どんな場所であろうと自分の育った家を焼くという事はためらわれて。
生を受けて17年の間、胸の内にずっと燻(くすぶ)っていたのだ。
シアはふと空を見上げると、何かに気付いたように目を軽く開いた。
「雨、そろそろ止む……」
そう呟き辺りをぐるりと見渡す。
目に入ったものは、澱んだ空と、凪ぐ草、そして今自分の隣りにそびえ立つ木。
シアはその木に手を触れると、その幹に自らの額を押し当てた。
「もうすぐ、晴れるよ」
目を瞑りそう呟くと、頭の中に響く声。
――うん……。
シアは目を瞑ったまま淡く口端を上げると、身体を反転し、木に寄り掛かった。
聞こえてくる声は、現実には届かない声達。
彼女には、その声を聞き、語りかける力があった。そしてそれこそが彼女が迫害されていた理由のひとつ。
この世界で魔法や、その類の物が使えるモノは人ならざるモノ達だけだった。
しかし人である筈のシアが、己の内なる力に目覚めた時は齢3つの時。
その時からだ。
村の人々の自分を見る目が変わったのは。
シアは溜め息をひとつ零した。
この能力を、疎んじた事は未だかつて一度もない。
声を聞くことが出来る者は、自分1人だと理解したが故である。
しかし、辛いものは辛いのだ。何故自分だったのか、と思った時は数え切れない程あった。
その挫けそうな気持ちを支えてくれた物が、いつの間にか付けていた自分の名前が彫られたこの首飾り。
シアはその飾りをそっと握り締めた。
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