鹿島アントラーズの歴史

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鹿島アントラーズ 鹿島アントラーズの元となったのは、大阪にあった住友金属のサッカー部でした。 Jリーグが開催される… 1991年、Jリーグが開催されることが決まりました。 Jリーグ加盟の条件は、社会人リーグ1部にいることと、チームのホームスタジアムがあること。そして、地域に密着したチーム作りをすることでした。 当時の住友金属蹴球団は、社会人リーグの2部にいました。 さらに、決まった練習場や試合開催スタジアムなどは無く、時には空き地で練習している時もありました。 住友金属は、Jリーグに加盟することを決めました。 しかし、当時は目立った選手は居なく、とても1部に行けるようなレベルではありませんでした。 この自体を受け、住友金属は、チームの主力になるような選手の補強を敢行したのです。 超大型補強 社会人リーグ1部へ、そして、Jリーグに参加するため、超大型補強を行いました。 何といっても、最大の補強は、元ブラジル代表のMF、サッカーの神様・ジーコです。 当時、ジーコは現役引退し、ブラジルの初代スポーツ庁長官の役に就いていました。 住友金属は、現役引退したジーコに正式に獲得オファーを出しました。
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