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「ある金券ショップで、ようやく手に入れたんです。……日本シリーズのチケットを。ペアで5万ですよ。5万。笑っちゃいますよね」
笑った後、寂しげな口調で続けた。
「それでも、これで一緒に日本シリーズに!って思うと、嬉しくってね。たまたま電車がホームに近づく電車を見て焦った私は走りました」
運が悪かったんですかね、と照れくさそうに男は笑った。
「天気は雨で、ホームはびしょ濡れで、ただただ息子を驚かせたかった私は、たまたま来た電車に乗り遅れまいと走りました」
ベンチに腰掛けた男は、もう涙をこぼしていて、私は何をすることもできずに、ただその男を見つめていた。
その男は、チケットを片手に走った。階段を駆け登り、汗だくになりながら、ホームに向けて……。
「滑ったんですよ。雨でしたし、革靴でしたから、それに気がつかないまま、そのまま線路の下に……」
入り込む列車にその男は、そのまま列車に轢かれ、死んだ。滑って転んで泥だらけになる前に血だらけになって。
「やっぱり即死でした」
軽く笑った後「バカですよねぇ。ドジですよねぇ。見送ればよかったのに。このコートの汚れもこの時のです」と涙声になりながら、男は寂しげに言った。
その年、その男が死んだ年の日、読売ジャイアンツは日本一になった。
その男の息子は、読売ジャイアンツの日本一を喜んだ翌日、父親の死を知ることになる。
「父さんのバカヤロー大嫌いだー!」
という声と共に息子は、葬式でそう泣き叫んだ。
うつむきながら男は言う。
「幸せと不幸が一気にやってくるって、人にとって辛いですよね、本当に。息子は今でも私のことを許してくれていません。嫌いなままです。でも、それでもいいんですよ。ただ、そのチケットだけは渡してほしいんです……私の最期の気持ちとして」
グシャグシャになったチケットを見ながら私は「分かりました」とだけ言った。ただ、それしか言えなかった。
それを聞いた男はまた涙声になって「ありがとう、ありがとう」と言い続けた。
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