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「嘘までついて、一体これはどういうことです?」
再びミニクーパーに乗り込んできたその男に、私は怒りながらそう言った。
「いやぁ、すみません。簡単に行くものと思ってたんですけどねぇ」
参ったなぁと言う表情をしながら頭をかく男は、しきりに「すみませんねぇ」と謝った。
「嘘はまぁ、いいです。お子さんからあなたは死んだと聞きましたけど、それ本当なんですか?」
信じられない出来事なんていくらでもある。けれど、日常で起きる信じられないことは、日常の中で起きるものだ。
だが、これは日常とは逸脱していた。
この話が本当ならば……だが。
「野球が好きな子でした」
そっと男は話し出した。
「野球部でもキャプテンでピッチャーで、それもエースだったんですよ。自慢の息子でした」
「野球は、私も好きですよ」
「そうなんですか。どこのチームがお好きなんですか?」
「中日ドラゴンズです」
そう答えると、ちょっと残念そうにしながら、私の息子は「ジャイアンツファンでした」と言った後「敵対関係ですね」と笑った。
「とにかく野球に夢中でしてね。テレビもいつも野球中継が映ってました」
思い出しながら話すその男の横顔の目には、うっすらと光るものがあった。
「私は運動音痴で生まれてこのかた、スポーツなんてやったことないのに、テレビを見てる息子を見てると、いつの間にか野球が好きになって、勢いでグローブも買ったものです」
夜中の道には車ひとつなく、走っているのは、このミニクーパーだけだった。
「やっぱり下手くそでしたけどね」
笑いながら男は言った。
「それでも息子とキャッチボールするのって、理想の家族って感じがしますよね。そう、思いませんか?」
私は男の話を静かに聞き続けた。不思議と車のエンジン音も静かになっていた。
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