関羽雲長

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中国、三国志時代の武将 この時代の中国全体に言えることですが 名を関、諱を羽、字を雲長といって諱は言ってはいけない言葉??みたいなものでした、その為実際に呼ぶ時は関雲長となったりするみたいです。 関羽は劉備という後々皇帝になる男と青年の頃出会い元々義兄弟であった張飛と共に義兄弟となります その人徳に触れ自分が年上ではありましたが劉備を長兄、関羽を次兄、張飛を末弟としました その後、義勇軍を募り黄巾討伐に加わりその後も各地を転戦、劉備の為に戦い続けます ある時劉備軍が敗走し曹操という男に劉備の夫人と共に捕らえられてしまいます、知勇兼備の将軍関羽を手にしたいと曹操は部下になる様に言います しかし義理堅い関羽は断ります、それでも諦められない曹操は夫人を残してどうするのか?劉備の生死も分からないのに先に死んでいいのか?という2点で義理が立たない事を指摘します
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