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女は一人、空の中で夜明けを眺めていた。遠く彼方を見つめながら、ずっと、ずっと。彼女にとっては無意味な永遠の中で、無価値でしかない長い時間を、そうしていた。
風の流れに任せるがままの長い漆髪と、うす桃色の着物の袖が、彼女の無感情を語るようにそよいでいた。
夜天に座していた黄金色の月が少しずつ消えはじめた、空が薄い青に白む少し前のことだ。
ある時ふと、決して動じることのなかった彼女の双眸が、見えないはずの背後を睨むように横へと泳いだ。
「何か、用なのかしら。貴女に見られていると思うと、鳥肌が立つのだけど」
彼女の言葉を掻き消すように、轟と風が凪ぐ。
それまでそこには、誰もいなかった。それなのに、彼女の言葉は明らかな敵意を孕み、意図の元に"誰か"へと投げかけられていた。
「あら、気付いてたのね」
彼女──輝夜は振り返ることなく、返ってきた緊張感のない言葉に嘆息を付く。
白々しい女だ。胸中で毒づきながら、平静を取り繕う。振り返ることをしないのは、渋い表情を悟らせないためだ。──尤も、この女にそんな取り繕いが通用するかは分からなかったが。輝夜は、幾分余裕と挑発を含ませた声色で言った。
「随分と暇そうなのね。八雲の賢者ともあろう方が」
「謙るなんてらしくない。貴女のような女郎が謙る時なんて、ろくなことがないのよ。知っていて?」
まさに売り言葉に買い言葉。八雲の賢者と呼ばれた女声は、皮肉たっぷりに言い放った。まるで這いずり回る蛇のように、八雲の声が輝夜の四肢に絡みつく。薄く顔をしかめながら、輝夜は不快感を拭えなかった。
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