三譚 宗一郎という男

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  □  早朝のことだ。  宗一郎は日課である素振りを行うべく、竹刀を持って家を出ようとしていた。  物心つく前から365日欠かさず行ってきたその鍛錬はまだ太陽も昇らぬ頃から始まり、平日ならば学校へ登校する直前まで続けられる。今日は休日であるから、いつ終わるかは彼次第といったところ。  実父が開いている道場までの数秒を共にするスニーカーに足を突っ込んだ時、宗一郎の背中に声が投げかけられた。 「お出かけですか?」  立ち上がりかけた膝がふと止まった。  止めた動作から淀みなく振り返る。そこにいたのは、銀髪妙齢の女だった。 「こんな朝だぞ、よく起きてるな」 「お嬢様は今し方床に着かれたところです。夜行性ですので。それに、それはお互い様ですわ」  何気ない言葉の往来にも、表情を一切変えない仏頂面の宗一郎と微笑を浮かべる女の対称。  女は特に気に留める風もなく、言葉を繰り返した。 「それで、お出かけですか?」 「……日課だ」 「左様で御座いますか。それでは行ってらっしゃいませ」  欠陥だらけの会話を終え、立ち上がる。  とんとん、と褄先でスニーカーを履き慣らすと、そのまま敷居戸を横に開き、外へ出る。一切振り返らずに、扉をピシャリと閉じた。  そんな様子にも銀髪の女──十六夜咲夜は、最後まで微笑を浮かべたままだった。  
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