三譚 宗一郎という男

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   身を引きながら、胴の右側を叩く。引き逆胴とは高等な技である。  苦悶の表情を浮かべて宗一郎を油断させ、引き面。初めに宗一郎が予測した攻撃のパターンでも充分に必殺だっただろう。  しかしその締めに一捻り加えたことが、放った本人にはトドメの一押しの意味であったにしろ宗一郎には意味を成さなかったのである。  必殺を上回る決殺。放った者の技量は凄まじいものだったが、防いだ者の感性はそれをも上回っていた。  そして、その両者にもたらされた余裕の与奪。攻め手と守り手が、一瞬にして入れ替わった瞬間だった。 「……っ」  そのことを悟り、妖夢が間合いを取る。  必殺を防いだ宗一郎だが、それを追撃にはいかなかった。 (……いつもなら、行ってたな)  行かなかった理由は、先の妖夢の猛攻の原因。まさに今と同じ、自らに優勢だと思い過信したことが逆手に取られたのだ。  流れを掴んだからこそ、今はぐっと堪えた。  その引き際も、時には試合の決め手と成りうるのだから。勢いに乗ることは簡単だが、その勢いに殺されることもまた往々にして有り得ることだった。  宗一郎は大きく一つ、息を吸った。刹那の無酸素運動で枯渇した酸素が、肺の隅々へ行き渡っていく。  広くなった視野は、もはや相手の一挙手一投足でさえも見逃さない。  間は、一息で充分だった。  宗一郎は大きく一歩目を踏み出し、 「おォっ!」  腕を目一杯に伸ばして妖夢の篭手を狙った。  有効打突でなければ一本と見なされない剣道のルールにおいて、その無理な姿勢で撃ち込むことが決定打に繋がることはない。そう知った上での一撃だった。  それは決して勝敗を決す一撃ではなかったが、これから吹き荒ぶ強大な嵐の予兆だった。  
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