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顔を上げて見えたのは、静かに肩を震わせ笑っている浪人だった。片方をつり上げた唇から見える中の歯までも微かに震わせ、目をさらに細めて見下ろしている。
その冷たい笑いはまともなそれとは思えず、私は喉を鳴らして息を飲んだ。ついていた膝が、冷えた指先が、小さく微かに震え出す。
「可哀想に、なあ」
可笑しくて堪らない、そんな声だった。堪えた笑いが小さく言葉尻を揺らす、気味が悪い音だった。
どうすればよいというのだろう。女の私が浪人が去る前に立ち上がること、背を向けること、逃げ出すこと。それらがすべて痛みと共に、自分の血を流す様に繋がってしまうことを、どうして私は知っていたのだろう。
浪人の腰の刀が何かに当たって、鈍い音を出していたからだろうか。それとも、この男の恐ろしい目付きだろうか。
男は言った。
「あんたは、可哀想な鬼の子だ」
その言葉は、私の耳を塞いだ。
鳴っていた草の音も、風の流れも、不気味な刀の音も、自らの鼓動も。何もかも、音を無くした。
震えていたはずの指先も、瞬きをしていたはずの瞼も、何も動かせなくなった。
目だけが、大きく開いたまま。
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