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失われた音を、取り戻す。ざあっと草を鳴らして強く風が吹く。限りなく長い時間を立ち尽くしている間に、それは完全に月をこの夜に導いた。
店の主人は、女将は、私の帰りが遅いと文句を口にしている頃だろうか。私に怯えながらもそっと微笑んでくれた女たちは、今日も男たちの間を美しくしなやかに滑っているだろうか。
いつかこんなことが起ころうとは思っていたけれど、それは思っていたより大分寂しくて、悲しいことのようだ。
でもこれで、きっとすべてがあるべき姿に戻る。
目の前の男は、未だに歪んだ顔を見せている。刀の柄を握ったその細い腕が、震えて定まらない。
しかし、体に力を込めるかのように一声唸ると、あっという間に得物を抜いた。
首に当てられた、鈍色の光。
「すまねえな。あんたを殺ったら、しばらく生きれんだよ」
「……そうですか」
「あんたの目は、恐ろしいなあ。まるで、死んだ後に殺しに来そうだ。その、月色の目よう。あんた、化物なのか?」
違う。私は、人だ。化物だったら、この目で人を殺めるような存在だったら、私はどれだけ心が救われただろう。
私の目の中に輝く灰色の月は、何の力もありはしない。
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