灰色

傘

　
　温い唇の奥で、歯が小さく音をたてる。熱を出しているかのように、身体中が震えて止まらない。
　明らかに自分に向けられた声に、私は振り向くことができない。それなのに足はまっすぐに立って、その場を離れようとしない。
　必要以上に、鼓動は速い。唇から掠れた声と共に繰り返される呼吸。地面に捕らえられた私に、雨は容赦なく打ち付ける。

　音がする。近づく音。踏み出す音。私の背中にまっすぐに。
　近づく。近づく。

　雨が、止んだ。

「持っていけ」

　その声と同時に、私の酒樽を抱える腕の肘に差し込まれたのは、柄。竹のようなまっすぐで、硬くて、滑らかな肌。
　思わず顔を上げ振り返ったとき、傘の持ち主を私は見た。

　侍は、まっすぐに私を見ていた。固く結ばれた唇に、やはり大きな目が私の視線を吸い寄せた。落ち着いた低めの声に似合わない、幼く見えてしまうその顔は確かに私を向き、瞳が私を刺していた。
　また少しだけ侍が眉を寄せる。そして言った。

「……俺は酒が不味くなるのは許せん」

　くるりと背を向け離れて行く背中を、私は追うことはおろか声を発することもできなかった。