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きみのおもい
何も言えなかった。
敦の剣幕に少なからず恐怖も覚えた。敦の痛みが、二の腕から伝わってくる。
ううん、きっともっと痛いんだ。私は淳の痛みのほんのちょっとしか知ることができない。それが悲しくて、唇を噛む。
だから私は、敦から目を反らさなかった。ぶつけていいよ。怒鳴っていい。それで淳の痛みが和らぐなら、私が淳の痛みを知れるなら。
沈黙が続くうち、次第に敦の目は力を失くし、全身の力が抜けたようにうなだれた。
こんなに取り乱した敦を見るのは初めてだった。いつもふざけた調子のこの男が怒りを露わにして、弱々しい声で私に触れる。
私の中で蓋をした火種は再びあの呼吸をし始め、そして熱くこみ上げてくるものと共に、流れた。
「……敦」
自然に伸びる手を抑えようなんて思わなかった。躊躇いも恥も、恐れも忘れて、ただ動き出した心のままに、私は敦を抱き寄せた。
どれほどの時間ここに居たのかわからないけど、冷えきっているはずの敦の体は、不思議と温かかった。それはきっと、この溢れてくる涙のせい。なんで私が泣いてるのか、自分でもよくわかってない。泣いていい立場なんかじゃない。
「――っ俺こんな、まだこんな好きなのに。こんなのふざけんなって、思うけど、でも……あいつのこと全然、嫌いになれないん、だ」
「うん」
「ずっと、ずっと隣りに居てほしいんだ。でも、でももう、あいつは――」
敦の柔らかい髪に指を通す。お互いの体は小刻みに震える。それでも構わない。敦の体温が、私の体温が、今この場で二人を繋いでいる。
鼻をすすりながら、川の向こうに見える灯りを眺める。私の肩に顔をうずめて、声を殺して泣く敦はきっと、今までに見たことないくらい酷い顔なんだろう。ぐしゃぐしゃで、鼻を真っ赤にして、鼻水なんかも垂らしてさ。きっと格好悪い顔してる。
でもそれでいい。私の前だけで見せてくれるなら、それでいい。格好悪くたっていいよ。
だからもうしばらくはこのままで。あなたの体温を感じさせて。わがままなんて言わないから、せめて今だけは。
「――茜? 頼むからお前だけは、離れないで。頼む……頼むよ」
敦は私の服を固く掴んで、また体を震わせる。凍て付く寒さのせいだけじゃない。私はただ、小さな子どもをあやすように、敦の頭を撫で続けた。
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