8人が本棚に入れています
本棚に追加
きみのとなり
家に帰ったのは、まだ星が散らついている頃だった。
あんなに、あの男は弱かっただろうか。男の人の泣く姿を、初めて間近に見て触れた。それもただの男じゃない、相手は敦だ。
再起動した私の感情にコントロールが効かない。明日からまた、もどかしい毎日が始まるんだろう。
そう考えると眠れずに、必然的に思い返すのは先程のこと。
そこまで好きだったという証なんだろう。敦の一途さを知っているから余計に、じくじくと胸が痛む。それもまた次第に喜びに変わることを、私は知ってる。
敦を抱き締めた感触が、この腕にまだ残ってる。顔が火照り、どこかに隠れていた恥が顔を出す。
離れないで。
囁くような掠れたあの低音が、私の耳に胸に、響いて止まない。
「よう」
次の日、いつも通りの時間に奴はやって来た。おかげさまで完全な徹夜となった私は、久しぶりに目の下のクマと再会した。
「よ。今日、来ないかと思った」
いつも通りに答える私。若干、敦のまぶたに腫れがある。それにはあえて触れないでおこう。
「今度無断で休んだらクビなんだよ」
そうなんだと軽く流す。訪れる沈黙に、ストーブの音は心地よく響く。
「昨日ごめんな」
「何が」
「昨日の」
「だから何が」
温かいミルクティを口に含む。謝られる理由はない。私は得と弱みを得たんだから。
「その、取り乱しまして」
思わず吹き出してしまった。そっぽを向く敦の耳は赤く染まって、それがまた可愛かった。
「なんだよ! 笑うな!」
「いや、可愛かったなぁと思ってさ」
「馬っ鹿おまえ! 内緒だぞ!」
驚くほどいつも通りだった。それがどこが辛くもあり。傷心の敦を見て過ごすのは、正直堪える。
「――茜」
肘を付いて壁を眺める敦の口から続きが出てくるまでに、時計の針がカチっと動いた。
「……ありがと、な」
照れた横顔が、私の胸に染み渡る。煩い心臓を抑える術を、残念ながら私は知らない。嬉しくも悲しくも、変わらない日々がまた始まる。
「敦」
今更照れ隠しなのか、横目で私を捕らえる。
「なんだよ」
ふてくされたように眉を寄せるその仕草も愛おしい。
敦、私はね。
「しょうがないから、あんたのとなりにいてやるわよ」
悪戯に笑ってみせる。
この関係が好き。それにまだ時期じゃない。一度萎んだ恋の蕾は、暖かな季節に開くのだ。
春は、もうすぐやってくる。
最初のコメントを投稿しよう!