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欲望の形態は万物不偏とは限らない。
例えば徒競走を例示しよう。
どこぞのアフォな小学校、幼稚園では手を繋いでみんなでゴールなどいうヴァカな事をしている類もあるが、本来、足の速さという極めて単純なルールで勝敗を決める。
しかし、福沢諭吉が説いたように、“天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといへり(言うが)”、実際は産まれの差や、才能の差というものは確実に存在する。
そして、人と競い勝つことが至上の幸福と感じるものがいる。
では、人と競い負けることを至上の幸福と感じるものがいるか?
いるかも知れないが、その徒競走の相手全てがそのはずはない。
ここで、足が速いという人に対して嫉妬や妬み、もしくは負けた事に対しての屈辱を感じる。
それは幸福ではない。
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