関ヶ原の戦い

2/2
25人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
慶長三年(1598年)八月十八日、太閤豊臣秀吉薨去、享年63歳 13年におよぶ豊臣の天下はここに潰えた。 そして次の天下を狙うのは御奉行衆(五大老)筆頭255万石の大大名徳川家康であった。 だが、徳川の天下をよしとしない年寄衆(五奉行)筆頭19万石の大名石田三成は徳川家康をよしとしない大名と共に挙兵、謀反人討伐と称して家康の伏見城を陥落させた。 そしてこの動乱は勢いを増し、両軍は関ヶ原で対峙した。 これが世に言う【関ヶ原の戦い】である。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!