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時は一八八八年、十九世紀末の英国(イギリス)。
ウェスト・エンド地区はその名どおり、金融街の中心であるシティ・オブ・ロンドンよりもやや西寄りのところに位置している。そこに訪れる者の殆どは金持ちだ。
商業中心地のシティに対し、王権、行政の古い歴史を誇り、国会議事堂ビッグ・ベンをはじめ官公庁が集うウェストミンター区ウェスト・エンドの中心にあるピカデリーサーカスと呼ばれる広場は、商店の立ち並ぶピカデリーとリージェント・ストリートという大通りの接続地点として一八一九年に建設された。その近辺は軒を連ねる演劇や比較的大きな劇場等の催し物や娯楽施設が密集しているため、暇を持て余した大尽が日々絶えない。特に劇場街の中心地であると人々に認知されているピカデリーサーカスからチャリング・クロス・ロードの北側の通りはそうである。常日頃に観光客と馬車で溢れ返り、混雑はいつもひどい。今日もその場所では、沢山の人間で賑わっていた。
華美なマキシドレスに身を包んだ夫人。
立派な髭をたくわえた恰幅のいい紳士。
優雅な仕草で歩く貴族。
‥‥そして、通りに止まっている一台の馬車。
その傍を通り過ぎる時、何故か一瞬だけ人々の動きは止まった。慌ただしい人混みのなか、まるで何かに魅入るように、双眸を見開いて、とある一点を見つめながら。
「もういい、ここで降ろしてくれ」
「しかしお客様、ここはまだケンブリッジ・サーカスですよ?」
事実、皆魅入っていた。
馬車の近くに立っていたのは、幼い少女だった。
少女は黒のエンパイア・スタイルのワンピースドレスを着ていた。肩の部分がふくらみ、細みの長い袖が特徴的である。内側をレースで飾られた胸元は大きく開いており、さらけだされた肌は雪のように白い。
深く被った帽子の陰からのぞく、笑うその唇はあどけない。口の端からは牙のように伸びた小さな八重歯が見えた。
帽子を被っている故に顔こそは見えないが、一見すれば少女には幼女のような印象があった。
しかしそう断言仕切れないのは、相手は幼い子どものような笑みとは裏腹に体が妙に妖艶だったからだ。
薄い絹やモスリンといった透ける生地を用いたそれは、少女のなだらかな体の曲線をはっきりと浮かび上がらせていた。
豊かなバストは形よく、腰はくびれ、からだ全体は丸みをおびているのが分かる。
それは男女問わず、なんとも魅力的で煽情的な光景であった。
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