第二十章 調整者の苦悩

17/21
前へ
/844ページ
次へ
ずいぶん時間がかかったように思うけれど、ようやく浴槽が運び込まれてきた頃。 驚くほど我慢強いミリア女王もさすがに声を上げて痛がっている。 陣痛に加えて体内から魔力の反発がある。普通の人間だったら気を失ってもおかしくない痛みだろうに… 乱れた髪に脂汗を浮かべながらうめき、小さく悲鳴をあげギラついた目をしたその姿は戦場で戦っている兵士と同じものだ。 思わず小さく身震いしてしまった。 私は…耐えられるだろうか… そっと腹部に手を当ててから、今はそんな時ではないと思い直し浴槽の準備にかかる。 準備しておいたお湯を注ぎ込んでから持ち込んでいた荷物を漁る。 これがこんな所で役に立つなんて、あの時は思ってもみなかった。 取り出した皮袋から中身をドボドボと浴槽へ入れる。 「それは何だ?」 怪しむような問いかけがどこからか飛んでくる、当然だ。 「ラグスト王国を出る時に持ち出したの。湖の水よ。」 「全ての魔法を退けるあの湖か。汲んでしまっても効力が残るものなの?」 場違いに嬉しそうな声を上げるロアンに周りから冷たい視線が向けられているが、彼が気にするわけもない。 「実験済みよ。さぁ、早くこちらへ。」 アンファスに目を向けるけれど宮廷医たちが異議を唱える。 前例がないだの、水質の調査が必要だのごちゃごちゃ並びたてる中、ミリア女王の顔色は更に悪化している。 「女王を失いたくないなら早くして!」 彼らの声に負けないように強く声を張り上げた時、アンファスが意を決したように、痛みに悶えるミリア女王を抱え上げる。 先生も迷いのない様子で立ち上がり、部屋にたむろする人を移動させる。 誰が責任をとるのかと揉めている医師たちの前で先生はピタッとたち止まりその胸に杖を握った手を数回当てる。 「責任は全部この老いぼれがとるよ。極刑にでも何でもしとくれ。」 「いや、私が責任を負う。」 先生に続いて声を上げたのはデウス元老だ。 「平民の治療師たちを連れ込んだのも、彼ら独自の治療を許可したのも私だ。よって全ての責任は私が負う。 だからどうか、少しでも望みがあるならば…」 驚くべきことに彼はこちらに向かって深々と頭を下げた。 「平民に頭なんて下げなくて結構です。 そんなことされなくても私たちは患者を救うために全力を尽くしますから。」 そして、先生の手を握る。 「責任は私が…」 小声で囁いたけれど先生は左右に頭を振って、私の手を握り返した。 「あんたは今、一人じゃない。お腹の子の為にも間違ってもそんな事言うもんじゃないよ。 それに…」 アンファスがゆっくりとミリア女王を浴槽の中に浸からせていく。 「きっと上手くいく。婆の勘を甘く見ちゃいけないよ。」 そうして驚くような素早さで浴槽の側の踏み台に登り、ミリア女王の介助を始める。 呆気にとられていた私もすぐさま後に続く。 先生の勘と自分と、そしてミリア女王を信じて。やるしかない。
/844ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4125人が本棚に入れています
本棚に追加