幻想夏談

2/10
前へ
/80ページ
次へ
雨は厄介だ。 それは慌てふためく人を見て楽しむ妖精のように、気まぐれに降り注ぐ。 あらかじめ対策をしているのならまだいい。 けれど、そうでなかったのなら…… 先ほどまで渇いてからからだったアスファルトは水で潤い、余剰な水は吸い込まれるように排水溝へと流れ込んでいく。 降り注いだ雨粒は地熱により気化し、むわっとした湿気を風に含ませる。 行き交う人々は我先にと逃げ出すように駆け足で行き過ぎる。 それはそうだ。誰も彼も、好き好んでずぶ濡れになんてなりたくはないのだから。 けれど、彼は違った。 頭上を降り注ぐ雨を気にすることなく、ゆったりとした足取りで街中を闊歩する。 フードの付いた灰色の半そでシャツに、擦り切れた青いジーンズ。 その顔は張り付いた髪の毛に覆われ、年齢を判別するのは難しい。 それより、彼を見た人は顔よりもまず、その耳に注意が向くことだろう。そう、その左耳を飾る銀色の鈴のようなイヤリングに。 「おい、傘差さないのか?」 不意に響いたその声。 それは、少し甲高い女性のものだ。 彼の側にはもう人の姿はない。 だが、驚いた風でもなく彼は答える。 「……もってない」 「そんなことは見りゃ分かるよ。買わないのかってきいてんの」 「……めんどくさい」 「あーはいはい。聞いたあたしが馬鹿だったよ」 「安心しろ。オマエが馬鹿だというのは、もうずっと前から知っている」 途端罵声を浴びせてくるその声から興味をなくし、彼は雨の町を歩き続ける。 ――ちりん。 その耳に付いたイヤリングから、涼しげな音が鳴った。
/80ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加