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記憶の奥底に埋まった記憶の向こう側。そこで少女は幼い日の声を聞く。その声は遠く定かではない上に、前後の言葉が何であったかなど疾うに忘れてしまっていた。
『キミの名前は?』
しかしそれでも、男の声と明るい笑顔だけは覚えている。心から嬉しそうに笑い、まだ年端もいかぬ少女を抱き上げる大きな手。それは十数年以上も前のことだ。
『……僕? 僕はうつぎ。かがみやうつぎ』
どうしようもなく無知でどうしようもなく純粋だったあの頃。少女は男に“売られた”。
『そうか、君は今日からおじさんの娘(こ)だよ。鏡華……』
もう離すまいと力強く抱きしめる男の肩越しにこちらを見つめる母の姿。はっきりとした顔つきは記憶の中に黒い染みがこびりついてもう思い出せない。
『まま、まま!』
懸命に手を伸ばして叫んだが、男はずんずんと歩き続けた。母から離れることがとても悲しくて哀しくて涙が溢れて止まらない。どんなに暴れようと、男は戻ろうとはしなかった。
どんなに母を呼んでも、母は取り戻しには来てくれない。
視界の端にちらつくのは薄い紅を帯びた花びら。ひらひらと愛らしいそれが空(くう)を舞って落ちていく。
花から切り放されたそれは地面にたどり着いたが最後、二度と元の場所には戻れない。
それはまるで幼い頃の少女のように。
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