理想を演じていると、いつしか本物に。

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僕のなかで「禁煙」は所詮「禁煙」でしかない。 たばこを吸ってはいけない場所=禁煙という意識。 たばこを吸わないことを続けることでもなければ 一生たばこを吸わない人生を歩むことでもない。 「禁煙して何日」というのもただエゴを守っているだけで、 そのエゴを捨てれば たばこを吸わないことが偉いことじゃないことぐらいすぐ感じれる。 禁煙ゲームを楽しんでいるうちは宝物のように大切なんだよなぁ。 一生吸わなくなるまでの日数・・・明日がある保障なんかないのに。 「たばこを吸わなくなった日」のことはよく覚えている。 たばこが吸いたい、お腹空いた、そして眠い。 とりあえず食べてからたばこを吸おうと思い食べた。 しかし、食べていると体内に血液が循環するのを感じ、 たばこを吸うよりまず寝たいほうが強かった。 起きてから気持ちよく一服を楽しもうという思いで寝た。 気持ちよく寝れたおかげで起きたときたばこはいらなかった。 「吸いたくて仕方なくなるまで吸わなくていいか(笑)」 そんな軽い気持ちだった、それが今も変わらない。 映画のなかで俳優がたばこを口に加えて考え事をし、 何か思い立ったようにたばこをしまいやるべきことをして、 結局たばこを吸うことさえ忘れてしまっているというその動きが 「吸わないだけ」の意識に辿りついた大きなヒントになっている。 そして、まるで「演技」するかのように吸わないだけを楽しみ、 それがいつしか習慣になりたばこを持つ必要もなくなっていた。
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